今年の冬、初めての選挙活動で、「あなたは議員になって何を目指すのか?」「あなたの志は何か?」という質問をたくさん頂きました。この問いは、当選し新人議員として活動している毎日、実は自らに問うている課題です。
志とは?国会議員という立場であるならば「こんな国にしたい!」地方議員であるならば「こんなまちにしたい!」と、自ら描く理想を訴えることでしょうか。または「誠実」「情熱」などの信条や信念を意味することでしょうか。
事件や問題を起こした議員も自らが政治家を目指していた時代そして新人議員時代はこの「志」は真っ直ぐなものだったに違いないと信じたい。
果たして日々、自問自答する私の「志」とは。
チンギス・アイトマートフという作家がいます。アイトマートフは旧ソ連キルギス共和国、現在のキルギスタン出身。アイトマートフが対談集の中で語る、自らの少年時代のエピソードがあります。お父さんは、スターリンの粛正によってある日、連行され、行方不明に(実は、何年も過ぎてから処刑されたことが解る)。1943年2月、戦争の最中、貧しくそして、スターリン体制によって弾圧されたアイトマートフ一家には、再び大きな不幸が訪れる。病の母、そして15歳のアイトマートフを先頭に3人の幼い兄弟。兄弟一家を支える唯一の糧は、親戚からもらった一頭の牛。牛はコルホーズ(集団農場)の一角を借りて必死に育てられていました。そして春には牛のお産をひかえ、家族は、春になれば、牛乳が飲める、チーズも作れると夢を語り合います。
しかし、薄暗い冬の朝、アイトマートフ少年が牛の世話をしにコルホーズに行くと、牛の綱は入口の隅に落ちていて牛はいなかった。はじめはどこかへ逃げたのかと近くを探し回り、次第に泥棒にあった事実を受け入れる心情が刻々と展開されていきます。家族思いで一家を支える責任感に溢れた15歳の少年は、(『いまでも覚えていますが、その時私の心に、奇妙な、激しい決意がむらむらと湧き上がってきました』)翌朝、泥棒を殺そうと、隣の家から、猟銃を借り野原や山の麓を駆けめぐります。『もう一つ、私の怒りをさらに激しくしていたのは、連中が、このよそ者の家族には追跡できるような人間はひとりもいまい、と考えているに違いない』。
復讐心にせき立てられながら、道を歩く少年とすれ違う、ありふれた田舎の老人が声を掛ける。
『おい、お若いの、おまえは誰かを殺しに行こうとしているのではないかね』『そうです。殺したいのです』老人は、少年と話しを始める。老人は、『おまえの気持ちはよくわかる。おまえを見ていると胸が痛む。骨さえもうずく』。『私は行きずりの老人にすぎないが、だけどこの私が言うことを聞いてくれ、人を殺しになど行ってはいけない!そんなことは考えてもいけない。うちへ帰りなさい。そしていつまでも覚えていてもらいたいのだが、そういう悪いことをした奴は生活そのものによって罰を受ける。必ず罰を受ける。そのことは信じていい。罰が連中にしょっちゅうついて回る。寝ても起きてもだ。だけど、おまえは、もしもこのままうちへ帰って、人殺しのことを忘れるならば、幸せに恵まれる。幸せはおまえのところにやって来る。おまえはそのことに気がつかないかもしれないが、幸せはおまえの心のなかに住むようになる。(中略)さあ、息子よ、うちへ帰りなさい。(中略)』アイトマートフ少年は、この老人の言葉に従った。そして急に大声で泣き出し、激しく肩を震わせ泣き続けた。
※『 』は対談集「大いなる魂の詩 下」より引用しました。
少年時代の体験は、「セイデの嘆き(脱走兵の妻)」という小説のモデルになっています。
20代の私はアイトマートフの小説「処刑台」「一世紀より長い一日」「チンギスハーンの白い雲」など数作品を読みました。
「怒り」は復讐や暴力とは全く正反対のものも生み出す。
「怒り」から「志」は生まれる。
「正義」とは何か?青春時代から思い悩んでいた私にとって、
答えは「暮らしの中にあり」、答えを自らのものにするために、
今、最前線の地方議員をさせて頂いております。
文豪チンギス・アイトマートフは残念ながら2008年6月に亡くなられました。
志とは?国会議員という立場であるならば「こんな国にしたい!」地方議員であるならば「こんなまちにしたい!」と、自ら描く理想を訴えることでしょうか。または「誠実」「情熱」などの信条や信念を意味することでしょうか。
事件や問題を起こした議員も自らが政治家を目指していた時代そして新人議員時代はこの「志」は真っ直ぐなものだったに違いないと信じたい。
果たして日々、自問自答する私の「志」とは。
チンギス・アイトマートフという作家がいます。アイトマートフは旧ソ連キルギス共和国、現在のキルギスタン出身。アイトマートフが対談集の中で語る、自らの少年時代のエピソードがあります。お父さんは、スターリンの粛正によってある日、連行され、行方不明に(実は、何年も過ぎてから処刑されたことが解る)。1943年2月、戦争の最中、貧しくそして、スターリン体制によって弾圧されたアイトマートフ一家には、再び大きな不幸が訪れる。病の母、そして15歳のアイトマートフを先頭に3人の幼い兄弟。兄弟一家を支える唯一の糧は、親戚からもらった一頭の牛。牛はコルホーズ(集団農場)の一角を借りて必死に育てられていました。そして春には牛のお産をひかえ、家族は、春になれば、牛乳が飲める、チーズも作れると夢を語り合います。
しかし、薄暗い冬の朝、アイトマートフ少年が牛の世話をしにコルホーズに行くと、牛の綱は入口の隅に落ちていて牛はいなかった。はじめはどこかへ逃げたのかと近くを探し回り、次第に泥棒にあった事実を受け入れる心情が刻々と展開されていきます。家族思いで一家を支える責任感に溢れた15歳の少年は、(『いまでも覚えていますが、その時私の心に、奇妙な、激しい決意がむらむらと湧き上がってきました』)翌朝、泥棒を殺そうと、隣の家から、猟銃を借り野原や山の麓を駆けめぐります。『もう一つ、私の怒りをさらに激しくしていたのは、連中が、このよそ者の家族には追跡できるような人間はひとりもいまい、と考えているに違いない』。
復讐心にせき立てられながら、道を歩く少年とすれ違う、ありふれた田舎の老人が声を掛ける。
『おい、お若いの、おまえは誰かを殺しに行こうとしているのではないかね』『そうです。殺したいのです』老人は、少年と話しを始める。老人は、『おまえの気持ちはよくわかる。おまえを見ていると胸が痛む。骨さえもうずく』。『私は行きずりの老人にすぎないが、だけどこの私が言うことを聞いてくれ、人を殺しになど行ってはいけない!そんなことは考えてもいけない。うちへ帰りなさい。そしていつまでも覚えていてもらいたいのだが、そういう悪いことをした奴は生活そのものによって罰を受ける。必ず罰を受ける。そのことは信じていい。罰が連中にしょっちゅうついて回る。寝ても起きてもだ。だけど、おまえは、もしもこのままうちへ帰って、人殺しのことを忘れるならば、幸せに恵まれる。幸せはおまえのところにやって来る。おまえはそのことに気がつかないかもしれないが、幸せはおまえの心のなかに住むようになる。(中略)さあ、息子よ、うちへ帰りなさい。(中略)』アイトマートフ少年は、この老人の言葉に従った。そして急に大声で泣き出し、激しく肩を震わせ泣き続けた。
※『 』は対談集「大いなる魂の詩 下」より引用しました。
少年時代の体験は、「セイデの嘆き(脱走兵の妻)」という小説のモデルになっています。
20代の私はアイトマートフの小説「処刑台」「一世紀より長い一日」「チンギスハーンの白い雲」など数作品を読みました。
「怒り」は復讐や暴力とは全く正反対のものも生み出す。
「怒り」から「志」は生まれる。
「正義」とは何か?青春時代から思い悩んでいた私にとって、
答えは「暮らしの中にあり」、答えを自らのものにするために、
今、最前線の地方議員をさせて頂いております。
文豪チンギス・アイトマートフは残念ながら2008年6月に亡くなられました。