言葉は暴力になり得る。また、発した言葉によって身を滅ぼすこともある。
国政を動かす政治家の言動は自らの信念に忠実なものなのだろうが、果たして、『国家』のため=『国民』のためなのか。
 ここ最近、以下の動きに大変当惑しています。
 憲法96条改正(憲法改正の条件として、両院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票での過半数の承認が必要とされているが、国会議員「3分の2」の部分を「過半数」に引き下げることに、自民、維新、みんなの党が賛成)
 自・社連立政権時代の日本の過去の植民地支配と侵略を認めた「村山談話」に疑問を呈した自民党政調会長。
 そして、大阪市長の旧日本軍の従軍慰安婦制度を容認に関する発言や沖縄米軍の風俗利用についての話。

 もちろん、憲法96条の議論と政治家個人としての?自民政調会長や大阪市長の言動は同じ次元ではありません。

 憲法について、まずは改正発議の要件を緩和することを先行する意図はなんなのか?
なぜ、憲法全文について、それぞれを議論し、理解を得られるよう説得をしていく意欲がないのか。
 国政に関わる政治家の発言はもっと明確に伝えるべきです。

 自民党政調会長や大阪市長のはっきりものを言う態度に共感を得る人々も少ながらずいるかもしれないが、誰のための発言なのか?
 こんな発言に悲しみ、反論できない多くの方々にとっては、暴力ではないのか。
 政治家は時勢によって傲慢になることの典型です。

 自民党政調会長の高市早苗氏は1961年生まれ
 日本維新の会共同代表の大阪市長橋下徹氏は1969年生まれ
 戦争を語ることができるのでしょうか。

 実感のない理想論を語る若き政治家の出現には、気を付けるべきです。