『地域に貢献する地球市民』の気概を持って

#チャレンジ2030 近い未来へバトンを!安心・安全・ワクワク

カテゴリ: 提案

 先日、長和町立和田中学校に伺いました。この中学校(現在の生徒37名)は、平成29年度より依田窪南部中学校(上田市・長和町組合立)に統合されます。惜しいことに昭和22年からの創立60周年の目前でもあります。
 さて、和田中学校は、平成23年に文部科学省のコミュニティスクールに指定されています。中学校では、地域との関わりをつくるこの制度の中で、様々な取り組みをしていますが、中でも「アントレプレナーシップ(起業家精神涵養)学習計画」は特徴的です。今年度は町役場のまちづくり課職員が講演し、各グループが将来のわが町のまちづくりを研究企画、プレゼンテーションする。計13回の授業です。
 公職選挙法が変わり、平成28年夏に予定される参議院議員選挙より、18歳以上が選挙権を行使できるようになりました。多くの地方議員が選挙権に関わる主権者教育について一般質問をしています。
 しかし、主権者教育とは、単に参政権に関する啓発を意味するものではありません。
将来のわが市町村のまちづくりにどう関わるかを意識することであり、そこには
①働くこと
②地域に関わること(関心をもつこと)
③ボランティア(多様な価値観をしること)
④納税すること
⑤選挙にいくこと
などが上げられ、権利と義務をしることだと思います。

 さて、小学校では長野県庁に社会科見学に行きます。
小中学校を通じて、どの学校も市役所や市議会に見学に見えないのはなぜ?なのでしょう!
 身近なまちづくりの拠点であり、身近な政治が行われている場所なのですが。

 正義について自分の人生のテーマであるとは、以前もこのブログで書いたことがあります。100人いれば100通りの正義の価値観があります。これは、教育論と同じで、100の家庭、教師には100通りの教育論があるはずで、1人の成功事例は他の方には通用するとは限らないし、政治家が個々の教育論を1つの価値観に押し付けるよう主張することほど、愚かなことはありません。まず、私たち大人は果たして誇れる行動をしているのか見つめ直すことが第1ではないでしょうか。
 話は本題に戻ります。
同じ出発点でも時として正義は、相反し、対立を生むようになります。ヘイトスピーチに象徴される在韓、在中の方々への卑劣な行為と、日本、韓国、中国のナショナリズムの根源は同じとは、ある報道記事の文書です。
 個人の価値観そのものが正義ではないか、とも思えます。
だから絶対的な正義はあるのか?
正しいことが時として非難の対象となる。
歴史は時の権力者の好いように作り変えられる。
このことは、小説家山本周五郎から学びました。
私にとって、正義とは理不尽に対する怒りから出発しているのではないかと思っています。
マハトマ・ガンジー、マルチン・ルーサー・キングしかり、最新ではパキスタンのマララ少女がそうです。
 だから、正義をもっともらしく大上段から振りかざすことほど、胡散臭いものはありません。
人生を貫くものであると、私は確信をしています。

 政治評論家の森田実先生が80歳を過ぎても、ご自分のホームページに毎日連載を続けた「森田実 言わねばらならぬ」が明日4月30日をもって休止となります。大変残念ですが、戦時中、戦争の悲惨さを経験された森田先生は、東大時代に共産党に入党されましたが、当時のやり方に反論され離脱。その後、政治評論家として活躍されてきました。70代後半から真の公明党、特に地方議員の姿を具に観察され、公明党の応援団になられました。私は3年前に佐久市で森田先生の講演を聞き、大変感動し、先生にお手紙を送ったことが契機で、翌年、上田市に先生がお見えになった時にお会いすることができました。
また、先生のホームページ「言わねばならぬ」に2回も私を紹介して頂きました。
 手紙を出すと森田先生から毎回、答礼のはがきを頂きます。、それは大変恐縮なことでした。
 生涯、正義を貫くことほど難しいことはありません。
 森田先生は正義を貫いてきた方です。
 私の人生の師匠もそうです。他人に何を噂されようと、時の権力が妨害しようと、いつも心に青空を描いている。
 正義を貫く方々の多くが「楽観主義」であるように。
だから、時の勝敗よりも、人生に、負けない心、決して負けないという決意が実は正義なんだということを学んできました。
 弱い自分だからこそ、悪に対して怒りを持つからこそ、貫く正義を持ちたい。

 森田実先生の連載は休止となりますが、森田氏は、生涯「政治評論家」として正義を貫かれていることに敬服しています。ただ、「森田実 言わねばならぬ」の連載終了について、若輩が生意気なようで申し訳ありませんが、森田先生にお疲れ様でしたと申し上げたい。
 森田先生ありがとうございました。

 ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんのお父さんジアウディン・ユスフザイのスピーチを聴きました。
 TED.COMからスピーチを見ることができます。
 NHK Eテレでは、1月14日夜10:00~スーパープレゼンテーションで放送。
 『人権』と『自由』を勝ち取るため、お父さんの思いがマララさんに受け継がれていったことがわかります。
更にマララさんが銃弾に倒れ、生と死をさまよっているとき、お父さんが「自分の責任だろうか」と妻(マララさんのお母さん)につぶやきます。それに対する、妻の言葉が心を打たれます。
 マララさんは、お父さんだけではなく、お母さんの心強さも受け継いでいます。
お父さんは、マララさんはごく普通の子どもであることもエピソードを通して語ります。
 そして、最後に「娘の強さの秘訣は」
「それは私がマララの『』を切り取らなかったことです。ただそれだけです」と結んでいます。

 年末から新年にかけてNHKのドキュメント番組は、子どもをテーマにしたものが多かったように思いました。
12月9日 クローズアップ現代「子どもの性同一性障害~揺れる教育現場~」
12月22日 NHKスペシャル 「調査報告 "消えた"子どもたち~届かなかった「助けて」の声~」
12月28日 NHKスペシャル 「子どもの未来を救え~貧困の連鎖を断ち切るために~」
1月3日 Eテレ 映画「世界の果ての通学路」

 
ナイジェリアでは、10歳の少女が爆弾を巻きつけられて、強制的に自爆テロを強いらています。
日本でも、SOSを聞くことができない、見過ごされてしまったこどもたちがいます。
また、学びたい思いに突き動かされ、命がけで学校への道を歩くこどもたちがいます。

 教育を語る大人や政治家は大勢います。
しかし、どんなに立派なことを語っても、私たちがどんな生き方をしているか
 これから10年、20年先に残してあげられるのは、大人が真摯に生きることだと、私は改めて、深く決意をしています。
子どもたちが、を広げることができるように。

新年、明けましておめでとうございます。
3月で市議会議員をさせて頂き5年になろうとしています。
あっという間の5年は2回の選挙を経験しました。
若手と呼ばれることから、中堅と言われることが増えましたが、
『志』には、若いもベテランもありません。
 新年の書き初めで、「柔と剛」と書きました。
年の初めにジョギング?(ウォーキング)を始めました、自分では精一杯走っていても、早く走れません。
走ってる(歩いている)途上、「柔と剛」という言葉が思い浮かびました。
辞書には
「柔」は、弱々しい、きめ細やか、穏やかであること。
柔の対となる言葉が「剛」。「剛」は、強くて、意志が強い。
とあります。
また、「柔」を「やわら」とすれば、柔術として、自分の体力や腕力に任せて、一挙に敵を圧倒しこれをしとめる戦方から、相手の力をかりて、引き込みや返し技で、後の勝ちを第一とする術とあります。
 それぞれが、力の程を表し、その威力を示す言葉のように思えます。そして技能をも表しています。
 さて、強い意志と柔軟な発想、
「柔と剛」は相容れないものではありません。
権力と手練手管、それぞれが年数を重ねていくと掴みがちで、陥りそうなモノです。
 誰のため、何のための政治なのか、政策なのか。
「柔と剛」を突き動かす「魂」を自ら鍛える1年として参ります。

10年、20年先の未来のために、私たちの行動や決断には責任があります。
 今年は「対話」をテーマに行動していきます。
昨年末の紅白で、久々にサザンを見ました。
未来に平和の花咲くまでは・・(ピースとハイライト)
f800cbad.jpg

980af96e.jpg

↑このページのトップヘ