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カテゴリ: 発見

 11月16日は国連の国際寛容デーです。
以下は、本年のこの日に寄せた潘基文事務総長のメッセージの抜粋です。

寛容は受動的なものではありません。特に意見の違いがある場合には、相互の理解と尊重に基づき手を差し伸べるという能動的な選択が必要です。寛容とは、私たちの多様性が強みであり、すべての社会にとって創造性と再生の源泉であるという認識に他なりません。

 寛容を学ぶことは可能であると同時に、義務でもあります。私たちは少年少女に、いかに共生すべきかだけでなく、グローバル市民としていかに手を携えるべきかを教える必要があります。議会から遊び場に至るまで、文化的な理解と尊重を推進することにより、寛容を育むことも必要です。格差の広がりに対処し、ジェンダーや障がい、性的嗜好、民族的または宗教的背景に基づく社会的疎外を排除する必要もあります。

 月に一度、お邪魔させて頂く、ボランティアがあります。
その会のリーダーの方の姿に尊敬し、学びます。
 相談する方の話を聞く力・・
・否定しない
・経験に裏付けられたケースごとの適切なアドバイス
・話がしやすい雰囲気
・締めくくりは、いつでも力になりますよ

 議員をさせて頂き、様々な市民相談を受けます。
相談内容によっては、聞くことが大変(自身に心理的な影響を及ぼす)内容もあります。

 寛容は自分自身が体験や経験を通じて、鍛え上げなければならない一面があります。

「人間であれ、文明であれ、絶えず自身の殻を打ち破り、開かれた心で他者と対話し、学び合う。この積極的な『寛容の精神』の躍動のなかに真の共生があり、平和があります」


 対話が自らを鍛えさせる。聞く力をもっと身に着けたいと思いました。 

長野県議会の県政報告会・タウンミーティング
『こんにちは県議会~屋代高校付属中学校~』に伺いました。

屋代高校付属中学校は、一昨年開校した、県立の中・高一貫教育校です。今回、議長をはじめ県議会議員8名が、中学2年生80名に、県議会のしくみ、身近な長野県立中学校条例など、条例が提案され施行されるまでの説明があり、そのあと、約1時間にわたり中学生と県議会議員との質疑応答がありました。

中学生の質問(あらかじめ予習してきたようです)の鋭さには驚愕すべきものがありました。

・最大会派、自民党長野県議団と第2会派、改革新風(主に民主党、社民党)の会派の特徴は何か
・道州制により県議会の存在価値はどうなるのか
・議会は県知事を監視するとあるが、議員は誰に監視されるのか
・議員は知事と対等という意味は何か
そして、かなり高度な質問
条例の改廃の(住民)請求はいままであったのか、その手続きはどのようにするのか
きわめつけは、
「党派の考えと自分が選挙の時に訴えた考えが違う場合、どちらを選びますか」

 市町村議会では、政党の考えや大きな枠組みの政策について主張する場が限られていますが、県議会の皆様は比較的自由に率直に回答をされていました。

 後半、司会進行役の副議長から、県議会から皆さんに質問です
「将来、県議会議員、国会議員を目指している人はいますか」という問いがありましたが、
出席した県議会議員の期待もさることながら、誰も手を挙げる生徒はいませんでした。

 私は、それもそのはずだなと思いました。
政治家は、職業として理解しがたいところがあります。
会社員や自営など何か仕事をしている場合、その対価として給料や利益があります。

政治家は何を生産しているのか?
(これはいつも自分自身に問うている課題です!)

ここが見えにくい。

ただ、ほっとしたところもありました。
社会の中で、会社や役所に勤め、営業成績や上司と部下の関係、生産工程、組合と会社との交渉、会社組織の矛盾などから、組織の中で鍛えられる。
自らが経営者ならば、事業の資金繰り、人事、競争相手、仕入れや営業展開等で悩むこと。
また、生活から子育てや介護、働くことなど矛盾を感じること。
こういった、社会経験を切っ掛けに政治家を志すことが本当で、学生時代から政治家を志し、政治家になるためだけの学問を続ける勉強ができる人が果たして素晴らしい政治家となれるのでしょうか。

 開会のあいさつで、中学校長から
「今回のこんにちは県議会はキャリア教育の一環で企画した」という話がありました。

良い企画だったと思います。

 質疑応答の最後に、中学生から県議会に要望が出されました。
「長野県全体の学力向上のための政策をお願いします」

将来、地域や市町村、県、そして国を背負って立つ政治家、何よりも市民のために、国民のために働く政治家が生まれるために、ひと足早く政治家になった私たちの責任は重大です。
わたしも○○さんにような政治家になりたいと言われる政治家が生産性のある政治家ではないでしょうか。

中学生の皆さんに学びました。 

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先日、BCリーグ(北信越プロ野球リーグ)信濃グランセローズの岡本監督、
グラセローズを運営する株式会社長野県民球団の代表取締役三沢今朝冶氏の講演を聞きました。
 大変、勉強になりました。
 平成18年に設立した信濃グランセローズには、長野県81全市町村の首長を後援会長とする後援会組織があり、当初、選手も長野県出身者や長野県の学校を出た選手が半数以上を占めていた。
 球団の掲げる方針
 優勝、育成、地域貢献
 は現在もしっかり実践されています。
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 岡本監督は、育成しながら(BCリーグは日本プロ野球12球団に選出を輩出するための人材育成の場でもある)勝つことの難しさを語る反面、勝利そして人材育成するためのチーム作りに確信をもっていました。
 勝利の価値観を共有する、チームの勝利に向かって自分の力を発揮する。
 主体性をもつ。
 選手の環境を整える(人間関係)

 監督、コーチの仕事は野球の技術を教えることではない、結果を出すこと。
 そしてミスをした選手を責めるのではなく、監督、コーチがミスを受け入れること
 岡本監督は球団社長三沢氏との思い出も語っていました。
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 三沢氏は、かつて日本ハムファイターズのフロントを長く経験、現役時代から日ハム一筋であり、選手の発掘、育成は現在の強い日本ハム(今年は弱い)を作った礎であることは、私もかつて聞いたことがありました。
 三沢氏が日本ハムの取締役になった時から改革が始まった。
 まずは、現状を改革するための仲間を集め、勉強させ、価値観=プラン、ビジョンを教えた。
 チームの力で成績を残すことが自身を高めること。
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 これはプロの世界=企業も政治家も同じではないでしょうか。
 個人の技術や成績を高める目的は何か?

 これから先の地域、国に対するビジョン=多くの皆さんと共に歩んでいるのか?
 
 触発されるとともに、監督と社長の息が合っていました。

 これからの信濃グランセローズに期待し、応援をしていきます。

 昨日4月13日、長野大学において、よつ葉の会(長野県LD等発達障害児・者親の会)主催で、梅永雄二氏(宇都宮大学)の講演『発達障害のある人の就労』があり、伺いました。
 スキル(生活習慣や訓練で身につけるもの)には3つある。
1つはハードスキル(仕事そのものの能力)
2つめはソフトスキル(仕事以外の能力)
3つはライフスキル(日常的な行動)。

 3つのライフスキルは対人関係の能力ではない、生活リズムそして自分に出来ないことは手伝ってもらうこと。

 いままで、ソーシャルスキルについて
その場の雰囲気がわかる。
自分の言動を、相手がどう受け止めるか想像する。
自分の考えを、うまく相手に伝える。
 これはすべて自閉症の逆を言っている。このようなソーシャルスキルには限界がある。
 ADS(自閉症スペクトラム)の人に対人関係スキルだけを強要しない。
 人に頼るスキルも場合によっては必要。

 発達障害をもつ方々を多く雇用している会社の事例がいくつか紹介されました。
その方の能力が最大限に発揮される工夫。
対人関係が難しい方ならば、あえて対人関係の少ない部署や仕事についてもらい、仕事の能力を最大限発揮してもらう。
正確性にこだわる方ならば、ノギスで厳密に計測する仕事の担当になってもらう。
 企業も現場の構造を変えれば、社員の能力が発揮され、生産性も上がる。


講師が投げかけた
『自立とはなんでも一人でできることか?』この言葉は印象的でした。
 本人にニーズと適切なサポート、何かあったら相談できる場所(人)。
これは、発達障害をもつ方の就労の問題に限らず、
少子高齢化の地域にあっては必要です。また、理解をもっと広げなければなりません。


 ところで、組織は生き物です。
一人一人が、総合的な能力を身につけ、出来るだけ同じように力を発揮していくことと
 まず、人はすべて違う。その人の持っている能力を十分発揮できること。
前者を求める組織が多い中で、これからの時代は後者を進めていくことが、きらりと輝く組織になれるのではないか。
 すべてはそのトップにたつ方々の柔軟性にあります。

 学生時代、受験勉強が嫌で、そこから逃れるために、作家・山本周五郎の作品にのめり込み、2年間で新潮文庫60タイトル以上を読んだことがありました。
 あまりに夢中になりすぎて、朝から晩まで時を忘れることや、電車や地下鉄で読んでいると降りる駅をよく乗り過ごしてしまいました。
 山本周五郎の小説は、読みやすい文書とわかりやすいストーリー、そして何よりも一庶民であることが誇り、権力に対する反骨など一貫した作者の思いを感じます。
 『青べか物語』や『季節のない街』、『寝ぼけ署長』など現代もので面白い作品もありますが、やはり、圧倒的に多い時代ものには、『五辨の椿』のようなサスペンス、『さぶ』『つゆのいぬま』『ちいさこべ』など下町のあらゆる職をもつ庶民や『ひとごろし』『雨あがる』などのお人良しの下級武士を描いたもの、まさにエンターテイメント作家。

 人情だけではない、怨念や苦しみ、歓びと怒り、誇りや慢心、改心できない性癖、父から子に受け継がれるもの・・人の心を描く鋭さは、私に大きな影響を与えました。
 反面、山本周五郎は宮本武蔵に対しては、世間が抱くヒーローとは全く正反対の人物像を作品で描いています。(どうも宮本武蔵ヒーロー説に疑問を感じていたのではないか)

 さて、好きな山本周五郎作品をたくさん紹介したいところですが、
今回は、3つの作品を紹介します。
『樅の木は残った』主人公は仙台藩・代官(城代家老)の原田甲斐
『栄花物語』主人公は江戸・老中の田沼意次
『正雪記』主人公は軍学者・由比正雪
この3つの作品に共通しているのは、
 私たちが教わってきた一般的な日本史では、主人公が皆、悪者として扱われている悪人が、
仙台藩を思うように操っていたと言われた原田甲斐は、自ら汚名を着て藩のお家騒動を救った忠臣。
賄賂政治を横行させた腹黒い老中と言われた田沼意次は、実は政治改革と財政と経済を建て直しを図ろうした先駆者。
幕府に謀反を起こそうとした由比正雪は、時の政権に利用されてしまった純粋な若者。
として、描かれています。

 時の権力が残した歴史の記録は真実なのか?

 多くの方々が名言としている
『樅の木は残った』の一節は、社会や組織の中での大いなるその人の力量です。

「意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の目にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公することだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を護立てているものは、こういう堪忍辛抱、一人の眼につかず名もあらわれないところに働いているなのだ」

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