『地域に貢献する地球市民』の気概を持って

#チャレンジ2030 近い未来へバトンを!安心・安全・ワクワク

2010年10月

今年の冬、初めての選挙活動で、「あなたは議員になって何を目指すのか?」「あなたの志は何か?」という質問をたくさん頂きました。この問いは、当選し新人議員として活動している毎日、実は自らに問うている課題です。
 志とは?国会議員という立場であるならば「こんな国にしたい!」地方議員であるならば「こんなまちにしたい!」と、自ら描く理想を訴えることでしょうか。または「誠実」「情熱」などの信条や信念を意味することでしょうか。
 事件や問題を起こした議員も自らが政治家を目指していた時代そして新人議員時代はこの「志」は真っ直ぐなものだったに違いないと信じたい。
 果たして日々、自問自答する私の「志」とは。

 チンギス・アイトマートフという作家がいます。アイトマートフは旧ソ連キルギス共和国、現在のキルギスタン出身。アイトマートフが対談集の中で語る、自らの少年時代のエピソードがあります。お父さんは、スターリンの粛正によってある日、連行され、行方不明に(実は、何年も過ぎてから処刑されたことが解る)。1943年2月、戦争の最中、貧しくそして、スターリン体制によって弾圧されたアイトマートフ一家には、再び大きな不幸が訪れる。病の母、そして15歳のアイトマートフを先頭に3人の幼い兄弟。兄弟一家を支える唯一の糧は、親戚からもらった一頭の牛。牛はコルホーズ(集団農場)の一角を借りて必死に育てられていました。そして春には牛のお産をひかえ、家族は、春になれば、牛乳が飲める、チーズも作れると夢を語り合います。
 しかし、薄暗い冬の朝、アイトマートフ少年が牛の世話をしにコルホーズに行くと、牛の綱は入口の隅に落ちていて牛はいなかった。はじめはどこかへ逃げたのかと近くを探し回り、次第に泥棒にあった事実を受け入れる心情が刻々と展開されていきます。家族思いで一家を支える責任感に溢れた15歳の少年は、(『いまでも覚えていますが、その時私の心に、奇妙な、激しい決意がむらむらと湧き上がってきました』)翌朝、泥棒を殺そうと、隣の家から、猟銃を借り野原や山の麓を駆けめぐります。『もう一つ、私の怒りをさらに激しくしていたのは、連中が、このよそ者の家族には追跡できるような人間はひとりもいまい、と考えているに違いない』。
復讐心にせき立てられながら、道を歩く少年とすれ違う、ありふれた田舎の老人が声を掛ける。
『おい、お若いの、おまえは誰かを殺しに行こうとしているのではないかね』『そうです。殺したいのです』老人は、少年と話しを始める。老人は、『おまえの気持ちはよくわかる。おまえを見ていると胸が痛む。骨さえもうずく』。『私は行きずりの老人にすぎないが、だけどこの私が言うことを聞いてくれ、人を殺しになど行ってはいけない!そんなことは考えてもいけない。うちへ帰りなさい。そしていつまでも覚えていてもらいたいのだが、そういう悪いことをした奴は生活そのものによって罰を受ける。必ず罰を受ける。そのことは信じていい。罰が連中にしょっちゅうついて回る。寝ても起きてもだ。だけど、おまえは、もしもこのままうちへ帰って、人殺しのことを忘れるならば、幸せに恵まれる。幸せはおまえのところにやって来る。おまえはそのことに気がつかないかもしれないが、幸せはおまえの心のなかに住むようになる。(中略)さあ、息子よ、うちへ帰りなさい。(中略)』アイトマートフ少年は、この老人の言葉に従った。そして急に大声で泣き出し、激しく肩を震わせ泣き続けた。
※『 』は対談集「大いなる魂の詩 下」より引用しました。

少年時代の体験は、「セイデの嘆き(脱走兵の妻)」という小説のモデルになっています。
20代の私はアイトマートフの小説「処刑台」「一世紀より長い一日」「チンギスハーンの白い雲」など数作品を読みました。

「怒り」は復讐や暴力とは全く正反対のものも生み出す。
「怒り」から「志」は生まれる。
「正義」とは何か?青春時代から思い悩んでいた私にとって、
答えは「暮らしの中にあり」、答えを自らのものにするために、
今、最前線の地方議員をさせて頂いております。

 文豪チンギス・アイトマートフは残念ながら2008年6月に亡くなられました。

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昨日10月22日は、上田市役所にて「下関市・上田市歴史交流シンポジウム」が行われました。下関市と上田市との交流は、坂本龍馬の友、長州・三好慎蔵と関係から始まります。三好慎蔵の長男・三好米熊は、ここ上田において、蚕業教育の基礎を築きました。小県蚕業学校の校長として奉職し、現在の信州大学繊維学部を創設しました。今回は、下関市長府博物館の古城春樹学芸員が「高杉晋作来田150年を迎えて」と題して、阿部勇上田歴史研究会代表が「蚕業教育と蚕都上田」について基調講演がありました。
「高杉晋作来田150年を迎えて」
高杉晋作の「終身事業之基」(生涯、学び続ける、鍛え続ける)の旅(試撃行)が1860年8月に始まります。全国の識者と交流し、各地の自然を詩に吟じ、諸藩の剣豪と剣を交える。この旅は同年、9月17日に、上田に入ります。翌日、高杉晋作は、終日、6流派45人と剣を交えます。そして、地元の武士たちとも面談し交流を深めています。その時、残した詩に「信州上田、送諸生 英雄遂素志 唯在一誠宇・・」 志と遂げるには「誠実」を貫くことが重要であることを残しています。古城学芸員は、この試撃行の旅では、当時の一流の学識経験者である佐久間象山や横井小楠との交流のみがクローズアップされているが、実は、諸国の多くの無名藩士たちとの交流が「終身事業之基」を築いてる。「誠実」「誠意」が志を遂げる道であること認識したと纏められました。
若くして、生涯を閉じた高杉晋作ではありますが、当日の階級社会の中で奇兵隊を築いていった先見性や行動力は「誠」があったからなのでしょうか。
・・生涯鍛錬を続けること。これは今の時代も変わらず、そして「誠実」を行動の根底に置くこと。改めて学びました。

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 本日は、小諸市で東信5市議会議員研修に参加しました。5市議会とは、千曲市・上田市・東御市・小諸市・佐久市の各市議会です。今年は約120名の各市議会議員と議会事務局の方々が集まりました。開催都市である小諸市議会議長と市長あいさつのあと、「議会人が知っておきたい危機管理術」と題して講演が行われました。講師は市町村アカデミー客員教授の大塚康男氏。
以下、講演概要。
1.政務調査費
 政務調査費は、補助金であり補助金は公益の目的に使われる。公益の目的とは議員の調査研究目的であり、議員の資質向上に使われるべきである。その使途は、当に住民監査請求や訴訟の対象となるものです。講演では、その使い道と実際に起こった返還請求訴訟の具体例について話がありました。当然ながら議員個人の政治活動・選挙運動には使ってはならず、食料費と言う項目はあり得ない。・・上田市の政務調査費は月額20,000円。年間1人あたり240,000円です。会派口座に年間×会派人数分が一括で振り込まれます。そして毎年8月頃、前年度分の政務調査費の使途が議会だよりやホームページに公開されています。
 それにしても大都市の市区では月額600,000円の政務調査費、東信5市議会議員の議員報酬月額の1.5倍~2倍以上の政務調査費はものすごく高額です。また、領収書の添付を義務づけていない地方自治体もまだあります。
2.兼業の禁止
 市議会議員は、非常勤の特別職なので、会社役員や団体役員であっても構わないのですが、その会社や団体がその市と請負や委託契約を行っている場合は、兼業の禁止に抵触し失職する恐れがあります(年間売り上げの50%以上を市と契約している場合)。
 また、NPOの理事は無報酬でも、市と契約している場合は要注意です。但し、補助金は、契約ではありません。また、指定管理者については現在のところ、兼業にはならないとのことですが、各市で規定を設けて兼業と位置づけているところもあります。
 
 ※「一市民であり、会社員だった時の感覚を忘れないことが大事な視点になります」とは、「今の地方議会について」大塚講師に質問した時に頂いた激励です。

昨日、10月17日は長野市において、公明党長野県本部大会に出席しました。
鷲沢長野市長が来賓にお見えになる中、漆原国対委員長(衆議院議員)、長沢参議院議員があいさつ。党大会では、質疑があり新人ながら私も「ねじれ国会の中での公明党の対応について」質問を2問行いました。答えを頂いたのは漆原国対委員長「公明党が民主党にすり寄るような報道は全く逆であり、民主党が公明党にすり寄ってきている」「公明党は、法案の中身で賛成することは賛成するが、反対することは反対する」このような内容でした。
終わりには、来年の統一選に向けて、勝ちどきをおこないました。
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早朝より、清水じゅんこ、と共に街頭にたちました。
清水じゅんこ女性局次長は45歳
松本市の中川宏昌青年局次長は40歳
そして太田昌孝県代表(県議)は49歳
青年の時代です!

この写真、私は清水じゅんこの背後霊のように写ってしまっているな~。

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