学生時代、受験勉強が嫌で、そこから逃れるために、作家・山本周五郎の作品にのめり込み、2年間で新潮文庫60タイトル以上を読んだことがありました。
 あまりに夢中になりすぎて、朝から晩まで時を忘れることや、電車や地下鉄で読んでいると降りる駅をよく乗り過ごしてしまいました。
 山本周五郎の小説は、読みやすい文書とわかりやすいストーリー、そして何よりも一庶民であることが誇り、権力に対する反骨など一貫した作者の思いを感じます。
 『青べか物語』や『季節のない街』、『寝ぼけ署長』など現代もので面白い作品もありますが、やはり、圧倒的に多い時代ものには、『五辨の椿』のようなサスペンス、『さぶ』『つゆのいぬま』『ちいさこべ』など下町のあらゆる職をもつ庶民や『ひとごろし』『雨あがる』などのお人良しの下級武士を描いたもの、まさにエンターテイメント作家。

 人情だけではない、怨念や苦しみ、歓びと怒り、誇りや慢心、改心できない性癖、父から子に受け継がれるもの・・人の心を描く鋭さは、私に大きな影響を与えました。
 反面、山本周五郎は宮本武蔵に対しては、世間が抱くヒーローとは全く正反対の人物像を作品で描いています。(どうも宮本武蔵ヒーロー説に疑問を感じていたのではないか)

 さて、好きな山本周五郎作品をたくさん紹介したいところですが、
今回は、3つの作品を紹介します。
『樅の木は残った』主人公は仙台藩・代官(城代家老)の原田甲斐
『栄花物語』主人公は江戸・老中の田沼意次
『正雪記』主人公は軍学者・由比正雪
この3つの作品に共通しているのは、
 私たちが教わってきた一般的な日本史では、主人公が皆、悪者として扱われている悪人が、
仙台藩を思うように操っていたと言われた原田甲斐は、自ら汚名を着て藩のお家騒動を救った忠臣。
賄賂政治を横行させた腹黒い老中と言われた田沼意次は、実は政治改革と財政と経済を建て直しを図ろうした先駆者。
幕府に謀反を起こそうとした由比正雪は、時の政権に利用されてしまった純粋な若者。
として、描かれています。

 時の権力が残した歴史の記録は真実なのか?

 多くの方々が名言としている
『樅の木は残った』の一節は、社会や組織の中での大いなるその人の力量です。

「意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の目にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公することだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を護立てているものは、こういう堪忍辛抱、一人の眼につかず名もあらわれないところに働いているなのだ」