本日は、上田市出身である第5回赤松小三郎生誕祭に出席しました。
赤松小三郎は上田藩校「明倫館」で学び、京都で英国式兵学を教えるなど、幕末の兵学者であり政治思想家であるといわれています。
 慶応3年、坂本竜馬の「船中八策」よりも1か月早い、5月17日には越前福井藩主・松平春嶽に対して「御改正之一二端奉申上候口上書」という建白書を提出した。これが「建白七策」と言われるもので、新しい日本の政治のあり方を示したものです。
 注目すべきは、まず最初に
一、上下二局の議政局(議会)を設置し、上局30人は公家や諸侯。下局130人は選挙で公平に選び、国事はこの両局で決議する。という建白(政府や上役などに自分の意見を申し立てること)です。


(以下、ウィキペディアから参照) 
 上局は貴族院に相当し、その議員は、朝廷と幕府と諸藩の融和の象徴として、公卿と諸侯と旗本より選出される。下局は衆議院に相当し、その議員は、各藩を基礎とした選挙区から「門閥貴賎に拘らず道理を明弁し私なく且人望の帰する人」を、入札(選挙)によって公平に選ぶべしとされた。これは、身分にとらわれない民主的な普通選挙による議会政治を提言した文書として、日本最初のものである。「国事は総て此両局にて決議」とされ、議会は国の最高機関と位置付けられている。また、内閣総理大臣(赤松の訳語では「大閣老」)以下6人の大臣を議会が選出するという議員内閣制度も<提言されている。


 「建白七策」には、他にも全国各地に大学、小学校をつくり「人才教育を国是」とするなど、教育制度にも言及しています。
 議会制民主主義を日本で初めて提唱した学者として広く顕彰するためにもある生誕祭です。
「門閥貴賎に拘らず道理を明弁し私なく且人望の帰する人」を、入札(選挙)によって公平に選ぶべし

 その時に吹く風や、印象も公平に?選ぶ要因となるかもしれませんが、
『道理を明弁し私なく且人望の帰する人』が、国政でも地方政治でも活躍できるために、原点をもう一度胸に刻む日にしていきたい。
0bbfee92.jpg